无彊窯 <むきょうがま>
古代中国に生まれた書の一つに易経(えききょう)があり、その一説から頂き、人間国宝の故荒川豊蔵先生のご長男荒川武男先生のお許しのもと、命名。无彊とは、無限大な、境のない宇宙とする大きさなどとする意があり、私自身とらわれた枠がなく無限の可能性、独創性を創り出す窯であると意味するものととらえております。
北大路泰嗣(きたおうじひろし)
現在岐阜県可児市久々利於いて无彊窯(むきょうがま)にて陶芸活動。
故、北大路魯山人の孫子として、さらに人間国宝の故荒川豊蔵先生のもと幼少より修業し、荒川豊蔵先生のご長男荒川武夫先生の許しのもと、現在は无彊窯を修行開窯し活動中。
北大路魯山人の没後五十年を記念した特別展「魯山人の宇宙」(中日新聞主催)【2009年6月6日~2009年7月12日まで】が中日新聞に掲載されました。企画から参加しました私、北大路泰嗣も初日「祖父魯山人の生きざま」と題し講演させていただきましたので、以下紹介させていただきます。
「北大路魯山人が美しいものにひかれたきっかけは、幼少期にさかのぼる。京都市の上賀茂神社で見たツツジや紅葉に「こうした美しいものに包まれて一生生活できればいい」と思ったようだ。作陶に開眼したのは1915年ごろ。金沢で文化人・細野申三氏の食客となり、自作の器を使った食事に驚く。自分も作りたい、と思って始めたが、最初は思うように出来ず怒り出したようだ。
ろくろびきはできなかった。完成間際まで弟子たちにさせ、自分は最後のいいところだけ。土をもむような、しんどいことはしなかった。
焼き物で織部の土にわざと信楽の土を使った。うわぐすりにはフランスから仕入れた酸化銅。思う色に近かったのでしょう。
55年には人間国宝の指定を固辞したが「美術の美も分からない大臣からもらって何がうれしいのか」と。絵が描きたいし、備前焼もする。織部作家に固定されるのが嫌だったのでしょう。
子供好きで優しかった。少々悪さをすると「これぐらい元気がないと」と喜んだ。私の母が子どものころ、友だちと作品に石を投げ、次々と割っていくと喜んでいたと聞く。講演で訪れた小学校の子どもから礼状が届くと、喜んで泣いていた。」(2009.6.7中日新聞より抜粋)
「食器は料理の着物」が、魯山人の陶芸に対する基本的な考え方でした。その魯山人が創始した焼き物の形が「俎板(まないた)鉢(皿)」です。窯を焚く時の道具にヒントを得たともいわれています。展覧会図録では昭和12(1937)年の織部俎板鉢が初見で、魯山人の俎板鉢には織部に優れたものが数多く見られます。左上の写真は辰砂(しんしゃ)釉の作品で、少し黒味がかった紅色がアクセントになり全体を引き締めています。辰砂釉といった場合、釉薬の正体は銅で、酸素が不足ぎみの還元炎で焚くと紅色化し、酸素を大量に供給し酸化炎で焚くと織部の緑色になります。しかし、実際にはそう単純に狙いどおりになるものではない、とある陶芸家に伺ったことがありあmす。すると、この紅色は炉山人が狙ったものか、それとも魯山人の頭の中にあったのは緑色だったのか、色合いを想像しながら見るのも楽しい器です。
[6月15日の岐阜広報より]